NHKの高瀬耕造アナウンサーが、阪神大震災直後に兵庫・加古川から上京した際の心境を明かし、「後ろめたさ、負い目があった」と語った。

NHK大阪放送局の高瀬耕造アナウンサーが19日、同局の定例会見に出席し、2025年に発生から30年を迎える阪神・淡路大震災について自身の思いを語った。

高瀬アナは、来年1月19日に放送される震災関連番組「関西民放NHK連携プロジェクト 阪神・淡路大震災30年 守りたい、だから伝える」(前10・05)で司会を務める。

1995年1月の震災当時、関西の私立大学を辞め、東京の大学を再受験するために兵庫県加古川市の実家に戻っていた高瀬アナは、三宮の予備校近くのビルが倒壊する映像を目にし、「何よりも神戸は憧れの街だったので、強い衝撃を受けた」と振り返った。

その後、都内の大学を受験し、3月下旬には上京。「朝ドラ『おむすび』の中で、ヒロインの父親が『神戸を置いて逃げた』という自責の念にとらわれていましたが、私も震災を置いて上京したという後ろめたさがずっとあった」と語った。大学卒業後、NHKに入社したが、「阪神・淡路大震災について真正面から向き合うことはなかった」とし、「どこかでずっと引っかかっていて、負い目も感じていた」と明かした。

昨年4月、NHK大阪に着任し、28年ぶりに関西での生活を再開。「30年を前にして、いよいよちゃんと向き合うべきだと思った」と語り、災害報道に正面から取り組んできた。関西民放各局のアナウンサーと共に勉強会を主導するなどしている。

その中で「自分の後ろめたさがすごく身勝手だと感じるようになった」と心境の変化を語り、「30年ずっと苦しみを抱えてきた方々を取材して、自分の個人的な考えや意識は良い意味で吹き飛びました」と晴れやかな表情を見せた。自身の取り組みが番組制作につながり、「すごくいい機会だと思い、走り回っています」と充実感を漂わせた。

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